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左翼(新左翼)史 [政治]

引き続き、いわゆる左翼・新左翼の歴史を極めて簡単にまとめてみました。(未だ暫定版)

■破壊活動防止法反対闘争(1952年) 破防法

■石川県・内灘闘争(1952-53)関与:学生・北陸鉄道労組

■砂川闘争・砂川事件(1955-60年代)関与:労働組合・社会党左派・社会党右派・労働者農民党・社会運動家・作家

■原水爆禁止運動(1955年)原水爆禁止日本協議会(原水協)が発足
 原水協分裂:1961年、ソビエト連邦の核実験を機に民社党系の核兵器禁止・平和建設国民会議(核禁会議)、1965年には全ての核に同等に反対する日本社会党系の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)


■60年安保闘争(1959):関与:全学連、社会党、共産党、総評、一部市民、ソ連共産党中央委員会国際部

・1958年に共産主義者同盟(ブント)の結成、「暴力革命」路線を掲げた。
「ブント」に結集した全日本学生自治会総連合は、国会突入などの実力行使で一部の国民から
喝采を浴びた(60年安保闘争)。

・「ブント」は「安保条約成立を阻止できなかった以上、運動は敗北であった」と総括し、
四分五裂の分裂を開始した。


■新宿騒乱 (1967年ー1969年)

・1967年(昭和42年)8月8日 - 米軍燃料輸送列車事故が発生、国電1,100本が運休。

・事件が起きた10月21日は国際反戦デーにあたり、反戦運動諸団体はベトナム戦争に
反対する集会を各地で開いていた。
20日、駅東口でベ平連・国際文化会議を中心とする街頭時局講演会が開かれ、
小田実らによる抗議運動

・1968年(昭和43年)10月21日 - 新宿騒乱事件が発生。全学連の学生運動が活発化。

・1969年(昭和44年) - 新宿西口反戦フォークゲリラ事件が発生。フォークソングの歌手達が
反戦歌などでベトナム戦争反対を訴え、最大で4万人が集結するが、警察が集会を禁止した。


■三里塚闘争(成田闘争)(1966年–1978年)

三里塚闘争とは、千葉県成田市の農村地区名称である三里塚と
その近辺で行われた(行われている)、成田国際空港建設に反対する闘争およびこれに
関連する事柄のことを指す。成田闘争とも呼ばれる。


■赤軍派結成(1969年)

1969年8月に結成された共産主義者同盟赤軍派は、前段階蜂起—世界革命戦争という
前段階武装蜂起論を掲げる「戦争宣言」を発し、「大阪戦争」や「東京戦争」と称して
交番や警察署を襲撃するという犯罪を繰り返した。


■大菩薩峠事件(1969年) 

1969年11月5日に共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)が53名逮捕され、同組織の弱体化に
結び付いた事件である。


■70年安保 

佐藤首相訪米阻止闘争(70年安保)

佐藤首相訪米阻止闘争は、1969年11月16日~17日に行われた新左翼による闘争・事件。
近代日本史上最大の2500人超の逮捕者を出し、1967年から続いた学生運動・新左翼運動の
高揚に一つの終止符を打った。
佐藤首相の訪米の目的は、日米安全保障条約が期限切れ(以降は自動継続)となる
1970年を目前に控え、安保条約の継続をアメリカと協議することであった。

全共闘・新左翼諸派はこれを阻止する闘争を70年安保の前哨戦と位置づけ、
前月の10.21国際反戦デー闘争に続いて各地で集会・行動を企画した。
中核派、解放派等を中心とした武闘派は佐藤首相の訪米を実力阻止すべく、ゲバ棒や火炎瓶で
武装した行動隊を羽田空港に送り込んだ。
11月16日から始まった武闘派の実力闘争は、数百人ずつに分かれて蒲田駅に到着した
部隊がその都度機動隊に個別撃破されるという形になり、羽田闘争等の過去の闘争と比べても
完全な敗北に終わった。
佐藤首相の訪米は予定通り行われた。

猪瀬直樹 - 信州大学全共闘議長当時、学生運動の主力部隊を率いて上京し、
佐藤首相訪米阻止闘争に参加。


■よど号ハイジャック事件(1970年)

1970年3月31日に共産主義者同盟赤軍派が起こした日本航空便ハイジャック事件。
日本における最初のハイジャック事件である。

実行犯は、北朝鮮に亡命し、日本人拉致にも関与しているといわれる。


■連合赤軍
 ■山岳ベース事件 
  1971年から1972年にかけて連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件。
  「総括」がキーワード。

 ■浅間山荘事件
  1972年2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の
  保養所「浅間山荘」において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。 

■スト権スト

 1974年11月26日、公労協は一斉にストに突入。鉄道網が麻痺。


■日本赤軍

1975年、日本赤軍によるクアラルンプール事件によって、あさま山荘事件犯人の一人である
坂東國男が「超法規的措置」として釈放され、日本赤軍に合流した(坂口も日本赤軍から
釈放要求されていたが、拒否をしている)。

日本赤軍は、中東など海外に拠点を置いて活動を行っていた日本の新左翼系団体。
1971年に共産主義者同盟赤軍派の重信房子らが結成し、1970年代から1980年代にかけて
多数の無差別テロ事件(日本赤軍事件)を起こした。2001年に解散。
アメリカ合衆国国務省の国際テロリズム対策室は日本赤軍を「国際テロ組織」と認定していたが、
解散したために認定を解除した。

・主な事件

・テルアビブ空港乱射事件 1972年5月30日

・ドバイ日航機ハイジャック事件 1973年7月20日

・シンガポール事件 1974年1月31日

・在クウェート日本大使館占拠事件 1974年2月6日

・ハーグ事件 1974年9月13日

・クアラルンプール事件 1975年8月4日

・ダッカ日航機ハイジャック事件1977年9月28日

・ジャカルタ事件 1986年5月14日

・三井物産マニラ支店長誘拐事件 1986年11月15日

・ローマ事件 1987年6月9日

・ナポリ事件 1988年4月



60年代70年代に新左翼運動にかかわり、その後、社会に入っている人も多いらしい。



タグ:左翼 新左翼
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